島田紳助引退でテレビの笑いが変わるか
島田紳助はテレビ界へのツッコミである
僕は、「おバカ」の時代でこんな言葉を引用した。「バカから賢い人まで一斉に出られるクイズ番組ってあまりないよね。そういう人間を集めてテストでチーム分けをし、階段席に並べて、早押しクイズとかやったら面白いんちゃう」(週刊プレイボーイ2008/4/7タレント争奪戦は? 珍回答の“仕込み”は? ブームはいつまで?… 4月から週28本!! テレビ業界「クイズ番組バブル」の“おバカ”な裏側)島田氏のこの言葉で、クイズ!ヘキサゴンのスタイルが変わった。と同時に、おバカタレントが生まれ、テレビ局のあらゆるクイズ番組に登場した。そして、日本のクイズ番組のほとんどが、紳助スタイルに染まってしまった。この「紳助スタイル」とは、
かつて漫才師たちだった人たちが、今ではクイズ司会者として回答者たちにツッコんでいるというスタイルは、島田紳助によって完成されたのかもしれない。少なくとも、公平中正な局アナのクイズ司会よりも、トークを楽しむためのお笑いタレントによるクイズ司会の傾向はさらに深まるだろう。「おバカ」たちは、外野からは白い目で見られ続けながらも、日本のテレビの低俗さに寄与していくことだろう。(「おバカ」の時代)
欽ちゃんスタイルから紳助スタイルへ
僕は、「総ツッコミ時代の原点はコント55号」で、「総ツッコミ時代」という言葉を書いている。私たちは、漫才を見るとき、ツッコミ役の人になってボケ役の人にツッコミを入れる。したがってツッコミ役は常識人の役割が持たされる。このツッコミとボケの落差が大きいほど面白い。ピン芸人の場合は、ストレートに視聴者がツッコミ役になる。(追記/と思ったが、綾小路きみまろのように視聴者という常識人にツッコむ非常識なツッコミという役割を持つ芸人も存在する)これを書いた2007年では、ツィッターはそれほど普及していない。トルネの登場でようやく、テレビとツィッターが共存することが可能になった。(torne Ver.2.10であなたのテレビがニコ動になる(ホームサーバの戦い・第80章) 参照)
さて、インターネットの時代になると、たとえば 2 チャンネルのテレビ実況のようにテレビを見ながら視聴者がツッコミを入れていく。それを動画にコメント(ツッコミ)を入れる「ニコニコ動画」や「ニフニフ動画」などがある。この誰でもテレビにツッコミを入れる時代を僕は総ツッコミ時代と呼ぶ。(総ツッコミ時代の原点はコント55号)
現在を見れば、テレビへのツッコミこそが現代社会の象徴であることがそこに伺われる。僕は、「総ツッコミ時代の原点はコント55号」のエントリーで、テレビの中でのツッコミの形を字幕やテロップで行うスタイルを「電波少年」だったことを書いている。当時のT部長こと土屋敏男プロデューサーは、
( 土屋 ) 55 号のコントって、二郎さんって言う人をどこまで振り回すか?っていうのが形だったでしょ。 ある程度までは決まったパターンがあるんだけど、それがどこまで行くかは分からない、だからおもしろい。二郎さんというキャラクターのドキュメント。いいツッコミが決まれば、それはどんどん止まることなく 広がりを見せていく。相手を素人に変えても同じ事が言えるよね。うまくやりさえすれば、どんな些細なことだって こっちがどんどん広げて、演出していけるんだよ。それを俺は『電波』で活かしたかったんだ。だから編集やナレーション、テロップでつっこむことで 成立させていったんだよ。( 高須光聖オフィシャルホームページ「御影屋」 )萩本欽一氏が、坂上二郎という天才的なボケを離れて素人をツッコみはじめた理由として萩本氏こんなことを語っている。
山田五郎 たくさん作りましたよね。(今までは)そんなことは考えられなかったと思います。どういう視点で素人さんを使ったらいいんじゃないかと思ったんです?これから考えていくと、島田紳助氏は、タレントの中の素人の部分を取り出して作ったのが「おバカタレント」ということになるのではないだろうか。週刊プレイボーイでは、おバカタレントの特徴をこう書いている。
萩本欽一 だって素人さんはうまいです。
徳井義実 えっ。
萩本 芸人て、中途半端に覚えるとわざとらしいのよ。笑いってね、わざとらしくないっていうのがいいのね。素人の人って、わざとらしいというのないですよ。
徳井 確かに、耳が痛いです。
萩本 でしょ。だからね、いつもね、感心して、あんな風に芸ってできないかなって、考えるより、出ていただこうって。
(中略)
萩本 リハーサルっていうか、まず20回やるだけなんだけどね。
だから、あそこを、ここを変えてというのは言わない。ただ、失礼だから、あの素人のまんま出るのは失礼だから、20回はやりましょうって、ただ20回やるだけなんだけど。
山田 あんまり、うまくなじんでしまっても困るわけですよね。
萩本 あの、素人って、なんか言うとどんどんうまくなるんですけれど、何も言わなければずーっとそのまんまです。
(中略)
萩本 新鮮であるということが大事なんですよ、テレビって。
森公美子 その通りですね。気仙沼ちゃん、出てきたときは、私たち、宮城県民が受けましたもん。宮城県民が、気仙沼ちゃんだーって。
萩本 だけど、気仙沼ちゃん、僕が笑っちゃったもんね。なんかね、普通の人に教えられたっていうかね。
徳井 確かに、プロが、時としてまったくかなわないですよね。素人さんの天然ボケというか、なんか計算できないところには。
(欽ちゃんの笑いから全員集合の笑いへ(NHK「そのとき、みんなテレビを見ていた」第二部より)(1) )
(1) バカであることに後ろ向きにならないポジティブさ芸人は、まねることはできるが、萩本氏の言う「芸人て、中途半端に覚えるとわざとらしいのよ」ということになってしまう。テレビでは、素の部分があからさまになってしまうからだ。
(2) 予想がつかない、お笑い芸人には思いつかないような面白さ
(3) “おバカ”タレントは、どんなに恥ずかしい珍回答、とんちんかんな受け答えでも、明るく受け止め、明るく返す。
(4) 見た目のかわいさ、カッコよさ、さわやかさもあるので、タレントとしての好感度も高い。
(5) 嫌味が無いし、狙っていない、計算していない感じが視聴者にも伝わる。そして可愛げがある。同世代には嫌味がないところが好かれるし、少し上の人からは温かく見守ってもらえる
(6) 本能でしゃべり、反射神経で答える彼らのワザは努力して真似できるものではない (週刊プレイボーイ2008/4/7タレント争奪戦は? 珍回答の“仕込み”は? ブームはいつまで?… 4月から週28本!! テレビ業界「クイズ番組バブル」の“おバカ”な裏側)
「欽ちゃんスタイル」では、素人を温かくいじる点が天才的だった。だが、このスタイルをまねようとしても誰も真似られなかった。一方、「紳助スタイル」では、量産されたおバカタレントをツッコむタレントを作りあげれば成り立つ。実際、同じような番組が増えている。
「紳助スタイル」とチープ化するテレビ
このようなタレントトーク番組の隆盛はテレビ局の制作力を削減する。週刊ポストの「さらば、テレビ」によれば、元制作会社ADで『AD残酷物語』著者の葉山宏孝氏に話を聞いた。さらに、
「最近、セットを組んだクイズ番組が増えた。ロケは一切やらない。セットを毎回使いまわし、1回ごとの制作費を抑えているうえに企画会議もクイズ本ありきです」(週刊ポスト2011年8月19・26日合併号「さらば、テレビ」小学館)
たとえばスタジオ収録物でも、カメラのカット割りを見ていると、全体を映した構図、いわゆる「引き絵」がない。引いたと思ったら、画面の左右までセットが足りず、スタジオの汚い壁が見えていたりする。この時代、ハイビジョンサイズ未対応は言い訳にならないはずだ。クイズで重要だったVTR部分もどんどん削減され、スタジオで済むものに変えられたり、トークで水増しされる。スポンサー激減による予算低下と紳助スタイルが妙なところで合致してしまった。
また昔に比べて、タレントの座り位置が、ものすごく密集している。特番は別として、レギュラー番組ではもはや大きなセットが組めなくなっているのである。お笑い番組でも、漫才やトークなど、1セットでいけるものばかりだ。本格的なコントは、スタジオ費やセット、衣装費がかかるので、やらせてもらえない。(小寺信良著「USTREAMがメディアを変える」ちくま新書)(「USTREAMがメディアを変える」から読み解くテレビ局の変質)
島田氏の引退とともに、純粋のネタ番組である「THE MANZAI」は白紙になった。予算削減によるチープ化でテレビがどんどん貧しくなるのを誰が止められるのか、そして、テレビの笑いはどこへ向かうのか。