夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

はてなに引っ越します

3月末に管理サイトが英語に変わるというらしいので、とりあえず2月からはてなダイアリーはてなブログに移行します。もちろん、最初はできたばかりのはてなブログ1本に絞ったのですが、はてなブログはこのtypepadがエクスポートするMovable Typeをインポートすることができず、はてなダイアリーからのインポートしかできません。そこで、typepadはてなダイアリーはてなブログとインポートしました。面倒なので、そのうち1本に絞ろうと思いますが、とりあえず使い勝手を見て2つ同時に進めます。

ただ、エクスポートに問題が。エントリー数が946本なのに942本しかできません。調べてみると、異文化文献録の4本が抜けているようです。リンクを修正しながら、復活させたいと思います。このtypepadのブログは、リンク先としても使えるので退会せずに3月ごろまで放置します。

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体罰も力は正義(強いアメリカと強い日本・3)

前項力への幻想(強いアメリカと強い日本・2) において、一神教の「力は正義」について考えたが、振り返って日本ではどうか。現在大阪の桜宮高校の体罰問題で体育指導方法でもめているが、これもまた「力は正義」ではないのか。指導教諭が体罰をすることによって、運動能力の高い生徒を作るというのは、もちろん考え方も指導の在り方も間違っている。いじめが、表面に出ない場所で陰湿に行われるのに対し、体罰は、公開処刑のようなものだ。皆が見ているところで、行われ、それがいかにも学校の伝統であるかのように続けられる。生徒は委縮し、反抗できない空気を作る。体罰で体を壊したり、精神的に参ったりすると、それはその人間が弱いからだといわれる。体罰をする人間は、教諭だから逆らえない。そこに一種の階級が生まれる。

テロリストたちが少年たちを鍛錬して少年兵士を作る。当然、日常的に体罰を受けるだろう。少年兵士は、敵を殺すために鍛錬されるのだ。もちろん、テロリストと日本の体育教育を並列で考えるのはむちゃくちゃである。あちらは殺人を、こちらはスポーツの勝利を目的にされているからだ。目的は違っても、方法は変わらない。どちらも、体罰の原理は共通なのではないか。まず、体罰を受ける人間は、その場所から逃げられない。人間を恐怖で追いつめると、今までできなかった力が湧いてくるものだ。いい加減で適当に過ごしてきた人間を本気にさせるには、一番いいのは逃げ場をなくし、体罰の恐怖にさらすのが一番なのである。だが、それが日常的にならされると、果たしてどのような人間が生まれるか。かつての日本軍の軍国教育に似たものであることは想像に難くない。
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力への幻想(強いアメリカと強い日本・2)

アルジェリア人質事件

またもや、アルジェリアで人質事件が起こった。アルジェリア政府が言うのはいつも『テロリストとは交渉しない』の一点だけだ。テロリストは強力な武器を持って、弱者たちを誘拐する。「人命は尊重しなければならない」とは言うが、その人命が単なる交渉の手段になっている。政府は、まず最初に守るべきなのは人質の人命であるべきだが、時の政権にとって大事なのは、国内の有権者たちである。有権者たちは、テロリストに屈しない強い政権を求めている。もし、他国の軍隊に協力を求めて人命を助けることができたとしても、自分たちの国の誇りを毀損してしまうだろう。つまり、この時点で力のバランスの上で人質の人命はただの手段に陥ってしまう。確かに、世界中から非難されるかもしれない。だが、国内の有権者の支持がなくては、政権を維持することができない。このように、海外では、人命は国内政治によって左右されるのである。

アメリカにおいても、銃の規制が進まない。強いアメリカと強い日本で僕はこう書いた。

>結局、アメリカでは、銃を規制する法律をそれほど信じてないのだろう。もし、できたとしても、これほど普及してしまった銃の前では法律など無力だと思っているのだ。
確かに、法律など銃の前では無力だ。この力信仰はどこから来るか。

力は正義

イスラム教もキリスト教も一神教である。宗教史をひもとけば、ユダヤ教を含め仏教以外の三大宗教は親戚筋にあたる。正義の見方(異文化文献録) で引用した木村尚三郎氏の言葉
アメリカには強いものには神が味方するという思想があり(木村尚三郎「 ヨーロッパの窓から 」講談社)
を思い出す。そこで改めてこの本から該当箇所を引用してみる。
中世ヨーロッパでは、貴族が裁判で相争い、どちらが正しいのか分からない場合、裁判官は双方に対し、自分の目の前で決闘せよと命じました。これを法廷決闘ないし裁判決闘といいますが、そこには、正しい者には必ず神が味方するはずだから、決闘に勝った方が正しいという思い込みが存在しています。そして決闘に負けた者は、たとえ生きていいても死んでいても、あらためて絞首刑に処せられました。力は正義なり、です。(木村尚三郎著「随想 ヨーロッパの窓から」講談社)
おそらく、他の一神教でも同じようなことを言っているのだろう。自分たちの宗教は正しくて強い。だから、勝たなければ正義ではない。その宗教の正しさを証明するために勝つまで戦争を繰り返す。テロリストも政府もより強い兵器や武器を手に入れて、我こそは正義との思いで戦うのだ。これでは、人質の命など誰も考えなくなる。

改めて「24」のジャック・バウアー的生き方こそが「力は正義」を実現していることだと考えられる。彼がいかにルールを破ろうと、最後に勝って生き残るから正義なのだ。

しかし、アメリカ人がすべてジャック・バウアー的生き方であれば、アメリカは無法地帯となってしまう。それに人間はドラマのように強い存在ではない。肉体の弱い者、メンタルの弱い者から脱落していく。

強者のための宗教か、弱者のための宗教か

だが宗教は戦争を引き起こすために作られたはずではないはずだ。むしろ、強い者よりも弱い者のために造られたはずなのに、どこで間違ったか。テロリズムと神、幕僚長の奇妙な思想で、僕は宗教の源流について考えていた。たとえば、「復讐するは我にあり」という言葉の「我」は神のことであり、決して復讐者でない事を
愛する者たちよ、あなたがたは自分自身で報復せず、むしろ(神の)怒りに場所を譲りなさい。(次のように)書かれているからである。復讐は私に属すること、私こそ報復する、と主が言われる。(ローマ書12-14〜21)(荒井献・池田裕一編著「聖書名言辞典」講談社)
旧約聖書には「目には目を」と書かれている。しかし、キリスト自身は批判的だ。
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」38-39節 (新約聖書[布忠.COM] )
さらに、コーランの「目には目を」でも
また、命に値するだけの償いで納得する場合には、復讐心を持ってはならないとも言っています。これは、報復に継ぐ報復によっていたずらに多くの命を失うことを避ける為の規定と取れ、この部分だけを見ても、今「イスラム過激派」と呼ばれる人たちがしている「テロ・無差別テロ」がコーランから外れており、多くのイスラム教徒の信仰とは、異質なものであるといえます。(中東問題私的考察リンク切れ)<

 神の使徒が「加害者であれ、被害者であれ、汝の兄弟を助けよ」と命じた時、或る男が「害を受けている人を私は助けますが、害を加える者をどうして助けることができるでしょうか」と言うと、彼は「害をさせないようにすること、それが助けることなのだ」と応えた。(イランという国で:思い出してほしいこと)

などと、報復合戦になることを諌めている。そもそも「力は正義」が正しければ力のない弱い者は生き残れない。宗教から見れば、信仰者を増やしたいのであり、そのような信仰者を減らす正義の戦争がいかに愚劣かを知らなければならないのである。
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全てをオープンにすれば人間は幸せになる?

フェイスブックで検索サービス

朝日新聞で、こんな記事があった。
フェイスブックに新検索サービス 10億人の略歴対象 

【デトロイト=畑中徹】世界最大の交流サイトを運営する米フェイスブックは15日、利用者が投稿したコンテンツを簡単に検索できるサービスを始める、と発表した。検索サービスへの本格的な参入で、10億人の利用者がさらに広がるか注目される。新サービスの「グラフサーチ」は、「人物」「写真」「趣味」「場所」の4分野が検索でき、10億人の略歴や2400億枚の写真のうち、公開されている投稿コンテンツが検索対象となる。 (フェイスブックに新検索サービス 10億人の略歴対象)

グーグルが情報を検索するのに対して、フェイスブックは利用者を検索しようとするものだ。おそらく、知らない人に出会うときに、相手の趣味や考え方を知るには良いツールになるだろう。だが、果たして、これは正しいのか。

フェイスブックに家族の写真を載せている者もいれば、本人の顔写真さえも載せない人もいる。情報の公開度は人それぞれなのだ。また、公開しているグループの大きさもそれぞれ違う。これを一様に検索できるようにすると、どうしたって情報の濃淡が出てくる。転職などで、知られたくない相手の情報からトラブルのもとになるかもしれない。

テレビの見る側と見られる側

僕はこのニュースで「テレビの見る側と見られる側」の関係に似ていると思った。テレビの見る側は、どんな人が見ているかが明らかにされない。一方、見られる側は検索されるだろう。見られる側は、人から見られることで収入を得ている。だから、多少の悪口は甘んじて受ける。それが、ある瞬間に、すべての人が見られる側になったらどうだろう。別に、彼らは見られることで収入を得ているわけではないのだ。それは、グーグルのストリートビュー以上のプライバシー問題に発展するかもしれない。

僕は、クローズアップ現代の「“忘れられる権利”はネット社会を変えるか?」を思い出した。

今「忘れられる権利」というネット上での新たなプライバシー保護が注目を集めている。悪意を持った第三者が、Facebookやブログなどのネット上に蓄積した個人の情報をかき集め、住所や家族関係、過去の恋愛経験までを、ネット上に晒すプライバシー侵害が相次いるためだ。(“忘れられる権利”はネット社会を変えるか?)
これは、抜き書き「“忘れられる権利”はネット社会を変えるか?」として書き起こしている。この番組のキャスターをしているのが、不祥事を起こした森本健成氏。皮肉にも今、彼自身が「忘れられる権利」を欲しているであろうが。

その中で、慶応義塾大学大学院特任助教の生貝直人氏の言葉が耳に残る。

もう1つは、むしろもっと悩ましいと思うのが人からではなくて自分がついアップロードしてしまった情報なんですよね。たとえば、若い時に書いた日記ですとか、つい、はめを外しすぎた写真をアップロードしたっていったときに、やっぱり後で消したくなる情報って、たくさんあると思うんですけれど、そういうものをたとえばサーバーの管理者にお願いしたとしても、自分で公開したのだからプライバシーも何もないでしょうと、あるいは、何の法律にも違反しているわけでないしといって、ちゃんと取り扱ってくれないことが多いんじゃないかというふうに思います。
これからは、世の中の人たちは、気軽に情報をアップできなくなる。そのサービスがなくならない限り、いつでもその個人の情報が手に入るからだ。


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好奇心を失ったら人間は退化する

1月7日に書いた抜き書き「新春TV放談2013」後半部分(1) 以来、9日が過ぎた。僕はその間、10本のエントリーを書いた。読んだ本は、20冊以上、それぞれのテーマごとに平均3〜4冊の本を読む。もちろん、読んでも使えない本もある。今回のテーマは、70年代のバラエティーの歴史にまつわり、膨大で統一性はない。僕を突き動かすのは、ただ、ただ、好奇心だけだ。出演者の発言に対する疑問、それに対する解答を求める。

今回の取り組みは、ひさびさに抜き書き「探検バクモン 愛と欲望のマンガ道」以来の大仕事になった。

インターネット環境は、自宅に居ながらあらゆる知識の検索を可能にした。一時的には好奇心を満足させる。だが、それだけで終わっていないか。自分の知識にするには、本を読み、重要だと思ったところを書き写す必要がある。そして、その知識を土台にして、新たな好奇心を発展させる。瞬間・瞬間で好奇心を満足させるのではなく、自分の中に知識を蓄積させる作業が重要となる。そうすれば、その人だけの知識の森が作られるだろう。
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「SMAP×SMAP」の謎(「新春TV放談2013」後半部分補足情報・7)

SMAPの語源については、ネットでいろいろ検索されているが、SMAP×SMAPという番組タイトルの理由についてはあまり知られてないようだ。「新春TV放談2013」に出演していた放送作家の鈴木おさむ氏の書いた「テレビのなみだ」(朝日新聞出版)にこうある。

テレビ界には改編期というものがあり、年に2回、4月と10月に新番組が始まる。その1カ月前、内容がだいたい固まってくると、最後に決めなければいけないことがある。タイトルだ。「SMAP×SMAP(スマスマ)」なんかは、ジャニーズ事務所のジャニ―喜多川社長が、「ニューヨーク・ニューヨーク? みたいな感じで」ってことで、そう名付けた。真ん中に「×」とくるところが、凄い!
タイトルにはゲンカツギやいろんなルールがあったりする。4文字に略せたほうが当たる!なんていう伝説もある。「スマスマ」もそうだし、「めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!)」なんかもそうだ。深夜からゴールデンタイムに昇格する番組もある。「いきなり!黄金伝説。」なんかは、深夜帯から「いきなり」ゴールデンに進出することになったので、そうなった。
新聞のテレビ欄では、深夜番組となると文字数が少なくなる。だから5文字以内に収めたいというプロデューサーも少なくない。「Qさま!!」なんかはその文字制限を受けて生み出されたタイトルだ。
冗談で言ってたものが、本当にタイトルとして付いちゃう場合もある。「金スマ」なんかがそうだ。TBSの金曜日の夜といえば、ドラマ「金曜日の妻たちへ」が有名。会議で誰かが笑いながら言った。
「『金曜日の妻たちへ』をモジって、『(中居正弘の)金曜日のスマたちへ』、略して『金スマ』ってどう?」
みんな冗談だと思って笑っていたが、会議中に「金スマ、金スマ」と言っている間になじんできて、本当にそうなってしまった。でも、よくよく考えると、とんでもなくふざけたタイトルである。(鈴木おさむ著「テレビのなみだ 仕事に悩めるあなたへの77話」朝日新聞出版)
金曜日のタイトルといえば、「三年B組金八先生」もそうだ。
主人公の坂本金八の名は、武田が尊敬しているという坂本龍馬と初期の放送枠であった「金曜八時」からきている。プロデューサーの柳井満によれば、当時裏番組で『太陽にほえろ!』(日本テレビ)や『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日)が放送されており、この強力な裏番組のために放送された番組がことごとく低視聴率に終わったため、1979年初夏に編成部で「金八(金曜の八時)をどうにかしろ」という合言葉が広がっていたことが発端である。(三年B組金八先生-Wikipedia)
去年大ヒットした「家政婦のミタ」も市原悦子主演のドラマ「家政婦は見た」のもじりであることは有名だ。

同じ「テレビのなみだ」でもう一本、SMAP関連の番組タイトルの話が出て来る。

番組が占いに頼ってしまったこともある。
以前、僕が構成をしていた「サタ★スマ」という番組。SMAPの中居君と香取君が出演し、慎吾ママなどのヒットコーナーが出た、あの番組。始まった当初は「サタスマ」という名前で、真ん中に「★」はなかった。開始後しばらくの視聴率は散々なものだった。
低視聴率のまま半年がたった。あるスタッフが会議で、
「番組の字画がよくないんじゃないの?」
なんて冗談で言ったことがきっかけとなり、有名な画数占いの先生に見てもらったところ、
「この画数は破滅です」
と言われてしまったのだ。破滅って!!
で、先生の提案が「真ん中に1画足す」ということだった。1画足すと言っても「サタースマ」と伸ばす訳にもいかず、先生と話し合って番組の名前は変えず、画数を変える方法として真ん中に「★」を入れることになった。
ちなみに白抜きの「☆」だと5画になってしまうらしい。この1画が足されることで番組の運は「破滅」から「再生」になると言われたのだ。
もちろんスタッフは「本当かよ!」と疑いまくり。でも、番組で出演者に、
「今日から番組のタイトルに1画増えました(笑い)」
と言わせてしまえば、バラエティーとしても面白いと思ったので、本当に変えたのだ。
サタスマ」から「サタ★スマ」へ――。
タイトル変更からしばらくして、新しく生まれたコーナーが続々当たっていき、視聴率20%を超えるヒット番組となった。タイトルを変えたせいかは誰にもわからない。ただ、変えたところから上向きになったのは事実。
それからだった。そのスタッフで他の番組をやる時も、必ずタイトルを決めた後に「先生に見てもらえ」という話になった。
「この画数だと最悪みたいです」
「じゃあ、どうしたらいいんだ?」
「1画足した方がいいみたいです」
なんて感じで、「!」とか「。」とか、タイトルのお知りにおまけが付くようになっていったのだ。新しく入ってきたスタッフの中には「字画の儀式」を「ちょっと怖い」と思う人もいるらしいが、僕らとしては「○画がいいです」と先生に画数指定してもらったほうが、タイトルを考えやすかったりもする。(鈴木おさむ著「テレビのなみだ 仕事に悩めるあなたへの77話」朝日新聞出版)

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「ザ・ベストテン」の謎(「新春TV放談2013」後半部分補足情報・6)

抜き書き「新春TV放談2013」後半部分(2) で登場した「ザ・ベストテン」の話題は次の2点。「ランキング方式」の謎と「生中継」の謎。

「ランキング方式」の謎

秋元康氏は、
秋元 だから1回目の放送の時の会議が一番大変で、その週の一番売れている人たちが来る訳じゃないですか。テレビの常識からいうと、オープニング、全員いた方が、数字、いいんじゃないのっていうのが、あったんですよ。だから、先に全員紹介して、後からその人が何位かというふうにするか、やっぱり隠してるか、どっちかにしようというのが、どっちかにしようというのが、ずっと、あったんですよ。でも、結局隠してる方にしたんですけどね。(抜き書き「新春TV放談2013」後半部分(2) )
この「ザ・ベストテン」の「ランキング方式」の問題は、企画段階からあった。当時の「ザ・ベストテン」のディレクター、プロデューサーであった山田修爾氏は、こう書く。
私はTBSに入社して10年目だった。『ザ・ベストテン』と同じ時間枠の木曜夜9時から10時まで『トップスターショー』という音楽番組を担当していたが、視聴率がかんばしくなく、それに代わる新しい音楽番組を企画していた。その企画会議では様々な企画案が出たが、最終的に、音楽番組のコンセプトで意見が真っ二つに分かれた。

キャスティング方式かランキング方式か……。
前者はおおむねベテランスタッフが主張し、後者は若手社員が後押しした。
私は、ランキング方式支持派だった。キャスティング方式による音楽番組の魅力も認めるが、視聴者の声をストレートに反映させていないと思っていたからだ。

当時、ニューミュージックと呼ばれた曲は、テレビではほとんど紹介されない。例えば、私の大好きな中島みゆきさんの「アザミ嬢のララバイ」は若い世代のハートをつかんでいる曲なのに、キャスティング方式では、そのニーズを汲み取ることができていない。そう感じたのは私だけでなく、ランキング方式支持派の若いスタッフも同じだった。

そんな私たちの意見に、キャスティング方式支持派の人たちがランキング方式の問題点を指摘する。

「ニューミュージック系の歌手は、ベストテンにランキングされても、出演しないと言ってくる可能性があるぞ。その時、視聴者にどう説明するんだ?」
「視聴者には“出演できません”と正直に謝るしかないですね」
「それじゃあ、番組として成立しないだろう」


痛いところを突いてくる。だが、ウソをつかない正直なランキングをすれば、視聴者は制作者の真摯な態度を理解してくれるのではないかとの期待を私たちは持っていた。
視聴者という一般の人たちは、職場や家庭といった日常で一生懸命仕事や家事をしているが、すべてがうまくいくわけではない。成功もあるが失敗も多々ある。テレビ制作の人間がギリギリまで出演交渉してダメだったら、そのダメだったことを素直に伝える姿勢は、一般の人たちと同じ目線に立つことであり、それが視聴者の共感を呼ぶのではないか。私は、冷や汗をかきながらも反論した。


「テレビは確かに“虚飾”の部分があり、それが必要なことも十分に認識していますが、今の時代は、我々製作スタッフが視聴者と共通の精神構造を持つことが、テレビに求められているのではないでしょうか……」(山田修爾著「ザ・ベストテン」ソニーマガジンズ)

このキャスティング方式とランキング方式の論争が解決するのに3か月かかった。司会の黒柳徹子氏と山田氏の対談がこの本の巻末にあった。
黒柳徹子 12年間で結局、何回放送したんでしたっけ?

山田修爾 前夜祭と最後のスペシャルを入れると、全部で605回です。ただ、『ザ・ベストテン』も本来、普通に10月から始まる予定だったんですよ。

黒柳 あら、いや、その前の年の?

山田 はい。ところが企画段階でかなりモメてしまいまして、10月に間に合わすことができなかったんです。新しい歌番組を始めるにあたり、部内が「ベストテン方式派」と「キャスティング方式派」に割れまして。激論になってしまったんですね。それで正月明けになってしまいました。

黒柳 へぇ、知らなかったわ。キャスティング方式というのは、その時々に人気のある歌手の方たちを幅広くお招きするということ?

山田 はい、そういう意味です。問題は、それだと従来のスタイルと変わらないということなんですね。TBSでは、それまで何年も歌番組を作ってきましたが、どうもこれという決定打を放てませんでした。そんな中で、より強い歌番組を作ろうと考えた時、僕たち若手はベストテン方式しかないなと。

黒柳 どうしてそれが良いと思ったの?

山田 芸能界のしがらみとか、レコード会社の事情とか、そういった大人の事情には決して縛られない――いわば視聴者が本当に聴きたい曲だけで構成された番組を作ってみたいと思ったんです。でも諸先輩方は、やっぱりキャスティング方式の方が無難だろうと。それでモメてしまいまして……。

黒柳 山田さんのグループは、若い世代が中心だったのね。

山田 ええ。ですから今ひとつ信用がなかった(笑)。ただ、そうやって意見が対立していた頃に、たまたま制作局長が変わりまして。いい加減決着しなければという時、新しい局長が「それは当然若手の意見だろう」と言ってくれたんですね。それで予定より3か月遅れで、1月にスタートすることができました。

(中略)

黒柳 でも私も、一緒に歌番組を作っておきながらこんなこと言うのも何ですけれど、歌謡界の事情なんてちっとも詳しくなくてね。それで山田さんから司会のお話をいただいた時、「順位の操作は絶対にしないでください」て。お引き受けする条件としてそれだけお願いしたんですね。だって、実際は1位じゃない人を「今週の第1位です!」と紹介するのは嫌でしたから。

山田 ええ、そうでした。よく憶えています。

黒柳 きっといろいろ大変なこともあったと思うんですけど、スタッフはその約束を最初から最後まで、本当にしっかり守ってくださって、1位から100位までコンピュータでパーッと集計した紙を、毎週きちんと見せてくださったのよね。私たち、それを毎週ちゃんとチェックして、へぇ、こんな風になってるんだって。

山田 それだけに出演交渉が難航して、ランクイン組のうち何人もがスタジオを欠席してしまったことも多々ありましたけれど(笑)。

黒柳 だから、久米宏さんが毎回謝ってましたものね(笑)。「○○さんは現在海外でレコーディング中です」とか「○○さんは今週も出ていただけませんでした」とか、いちいち視聴者の方に説明して。時には三人も四人も出られなくて、謝りっぱなしだった日もあったでしょう。

山田 ありましたね。あまり名誉なことではありませんが。

黒柳 でも逆に言うと、それが新鮮だったんでしょうね。この番組は、こっそり順位を繰り上げちゃったりしないということが伝わって。「これこそ正真正銘のベストテンなんだ」って信用していただけたんでしょうね。

山田 そうですね。歌手に出演を拒まれたことを隠さずに視聴者に伝えた歌番組は、おそらく『ザ・ベストテン』が最初だと思います。(山田修爾著「ザ・ベストテン」ソニーマガジンズ)

「生中継」の謎


キャスティング方式の番組だと、中継などいらない。スタジオに出演できる人を集めれば済んでしまう。一方、ランキング方式だとそうはいかない。
上田アナ 「ザ・ベストテン」といえば…。全国どこからでも生中継。
秋元 これ、専門的に言うと、昔は、生放送、生中継とかだと。2段で飛ばしてたんですよ。これは、すごい大変な事なんだけども、見てらっしゃる方は、全然そんなこと…。ねえ。
昔は、電話回線も、ず〜っと、つないだりしてたんですけど、やっぱり、技術が、今のように進んじゃうと、こういう緊張感がなくなってくるんですよね。
上田アナ やっぱり、かなり緊張?
秋元 それはもう、だって、松田聖子さんが歌って、新幹線に乗って帰る訳だから。
上田アナ 時々、新幹線が発射しちゃったりする時も…。
秋元 ありました。
上田アナ え〜歌が途中なのにみたいな。(抜き書き「新春TV放談2013」後半部分(2) )
この生中継の発想はどこから来るか。
音楽番組の生中継も『ザ・ベストテン』が最初ではなかろうか。
生中継は、現場にカメラなどをそろえた中継車が出向き、それを視聴者に伝える放送システムである。報道番組では、よく活用している。事件・事故の現場から逐一報道される情報は、視聴者にインパクトを与えるからだ。

しかし、音楽番組の“現場”とは、いったい何なのか。
ザ・ベストテン』はランクインした歌すべての紹介を大前提としているだけに、放送当日にスタジオ入りできない歌手をつかまえる場合は、その時刻に彼らがいる場所へ出向くことになる。地方のコンサート会場や他局の収録現場、あるいはレコーディングスタジオ、時には列車で移動中の場合も考えられる。その撮影の可能性は全国各地になる。
それを放送することができるのか、さらに言えば、移動中の歌手を放送する可能性があるのか。先例がないだけに制作スタッフは、暗中模索の中で解答を導き出すよりほかなかった。

放送作家の塚田茂氏(故人)からアドバイスを受けたことがある。塚田氏は、こう語った。
「例えば、百恵ちゃんが生放送の時間帯は移動中で、木曜夜9時30分頃には東海道新幹線に乗って蒲郡を通過しているとしたらさ、蒲郡でその走ってる新幹線をカメラに収めりゃいいんだよ。新幹線の窓際に座った百恵ちゃんが窓の外に笑顔で手をふるかもしれない。それを固定カメラが捉えられるかもしれない。現場リポーター(後の追っかけマン)が“今、山口百恵さんは、新幹線で蒲郡付近を通過しているところです”と実況する。大切なのは、生の百恵ちゃんを番組がしっかり追っかけている姿勢を見せるかどうかだと思うよ」
生中継の真髄を語っていただいた。まさしく「それだ!」と私も感じた。

しかし、たった数分間の中継のために、ディレクター、AD、カメラマン、照明などの製作スタッフを現場に派遣することはできなかった。
それまでの音楽番組中継と言えば、例えば、北海道の雪祭りで何人もの歌手が歌うシーンを放送するために、東京のTBSからスタッフが北海道に大挙出向き、旅費・宿泊費などを含めて多くの予算を必要とする制作手法だった。それでは経費がかかり過ぎる。どうすればいいのか。

その時、ヒントになったのがフジテレビの『プロ野球ニュース』だ。
名古屋、大阪、広島、福岡などの地方で開催されたゲームをフジテレビ系列の放送局が中継または取材して編集し、各地から解説者とアナウンサーが5分ほどの生入中をする。
それを見て「TBSにも全国に系列局がある。そこに中継の協力を依頼すれば、短時間の生中継も難しい事ではない。よしこれだ!」と思った。

さっそく放送開始の約1か月前にネットワーク(JNN)の制作担当者にTBSに集まっていただき、番組趣旨を説明して協力を仰いだ。
だが、先例がないと、なかなかイメージが湧かない。
「なぜ、たった3分の中継に、ウチのデカ中(大型中継車)を出す必要があるのですか。困るんですよね、そう言われても……」
私が系列局の人間であったとしても同じ意見を言ったかもしれない。当時、JNNを使うのは報道番組だけであり、音楽番組に大型中継車を使うのは前代未聞のことだった。それもたった3分の歌のために。

正直言って、系列局が積極的に『ザ・ベストテン』に協力するようになったのは、番組がスタートしてから1〜2年経過してからだ。視聴率が上がることで番組内容が広く知られるようになり、生中継という放送スタイルの重要性が認識されてからは、TBSスタッフが現地に出向くと「待ってました!」とばかりに我々を歓迎し、中継にも率先して支援してくれるようになったのだ。
数字を取る(テレビ局制作の場合は視聴率、一般企業では売り上げ・利益)というのは、どの業界においても“黄門様の印籠”のような性質を持っている。(山田修爾著「ザ・ベストテン」ソニーマガジンズ)

面白いのは、萩本欽一氏が、素人いじりの面白さを知った「オールスター家族対抗歌合戦」の作家が塚田茂氏、「ザ・ベストテン」の生中継のヒントを与えたのが同じく塚田茂氏であったことだ。さすがに、あらゆる業界を知っている塚田氏は、番組をどうやれば面白くするかを知っている。

「ミラーゲート」の謎

抜き書き「新春TV放談2013」後半部分(2) の中で千原ジュニアがこんなことを言っている。
千原 あのころの、諸星君の話とか、聞いたら、すごいですよね。
ザ・ベストテン」最終回1位、光GENJIやったらしいんです。最終回1位やったら、あのドア、持って帰っていいって言われて、家、持って帰ったんですよ。諸星君。ホンマに「ザ・ベストテン」に出てくるアイドルの人たちを、ホンマの自宅の、あの回転扉から出してたっていう。
(一同-笑い)( 抜き書き「新春TV放談2013」後半部分(2) )
そこで、やはりこの「ザ・ベストテン」の本の巻末のリストを調べてみる。ところが、通常の603回目の最終回は光GENJIではなかった。
f:id:mugendai2:20130115033659j:plain(山田修爾著「ザ・ベストテンソニーマガジンズ)


これは「ごくろうさま黒柳さん」と書いてあるように、最終日のランキングボードである。1位は確かに光GENJIになっている。しかし、よく見れば「先週の総合ベストテン」と書いてあるのが分かるはずだ。つまり、光GENJIは602回の1位だったのだ。f:id:mugendai2:20130201145933j:plain(山田修爾著「ザ・ベストテンソニーマガジンズ)

それでも、光GENJIはこのミラーゲートの取得にふさわしい。というのは、602回まで7週連続で1位を死守したのだから。なお、日々?、Santakuというブログでは、TBSでザ・ベストテン・ミュージアムのリポート記事があった。そこにあった最終回のランキングは、
f:id:mugendai2:20110806125659j:plain(日々?、Santaku)

確かに工藤静香が1位になっている。

ところで、ミラーゲートというのは一体どんなものだろう。
f:id:mugendai2:20130201145934j:plain(山田修爾著「ザ・ベストテンソニーマガジンズ)(日々?、Santaku )

ベストテンに入った歌手が登場するゲートはどのようなものが良いのか。演出、美術のデザイン会議は“ある素材”を見つけ出し、盛り上がった。それは薄いフィルム状の鏡だ。鏡というとガラスだが、それはかなりの重量になる。しかし、見つけてきたフィルム状のものは紙と同じ程度の重量なのだ。最高に豪華で華やかな、そう! ヴェルサイユ宮殿の鏡の間みたいな豪華で華やかに、鏡を使って登場ゲートを作ろうということになった。回転扉にすればゲートは万華鏡のように登場歌手をキラキラ写し出す。床も壁も天井も全部フィルム状の鏡でできたザ・ベストテン“ミラーゲート”はこうして生まれた。(山田修爾著「ザ・ベストテン」ソニーマガジンズ)
なお、フィルム状の鏡はすでに販売されている。検索すれば、本物の鏡よりも安く手に入る。
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